新潟県東蒲原郡阿賀町津川。
この地は、1886年(明治19年)まで、福島県であった。このことは、長い間、東北の大国、陸奥国「会津」の領地であったことを意味する。鎌倉時代に、「麒麟山」の険しく切り立った岩盤や、阿賀野川と常浪川に挟まれた合流地点という地の利を活かして、当時の会津守護、蘆名氏によって城が築かれ、戦国の世に数々の領主を経て江戸幕府開府まで、会津領主の重要な越後側への軍事拠点だったが、江戸時代には、別の要素で隆盛を誇った。
栃木県と福島県に跨る「荒海山(あらかいさん)」に源を発し、新潟市にて日本海に注ぐ阿賀野川は、全長210㎞の河川で、上流の山間地から、会津盆地に流入し、山都の辺りから再び峻烈な渓谷を流れ、ここ津川から、雄大な大河の様相を見せる。
このことを当時の越後側から見ると、会津に物資を送るには、船で行けるのはここ津川までで、津川から先は陸路を人馬で行かなければならず、全ての荷物を降ろし積み替える必要があった。
時は、北前船や川船が地方間の経済及び、物流を支えていた時代。新潟湊に着いた塩や海産物は、津川を経由して会津に運ばれ、会津からは米、漆器、木材などが新潟へ運ばれた。
そんな「津川川湊」は、当時、日本三大川湊に数えられる程で、船番所、藩の米・塩・蝋などの蔵や物産問屋が立ち並び、150隻の船が出入りし、100人もの「丁持(ちょうもち)衆」が荷物を積み降ろし、賑わっていたという。まさに、会津藩の一大貿易港であり物流拠点であった。

「とんぼ」(この地の雁木の名称)が残る、津川の町並み(上)・街道の「鉤型クランク」(下)
残念ながら、阿賀野川での運船文化が途絶えた現代において、川湊に関する建造物は残っていないが、1878年(明治11年)に、この地を訪れたイギリスの女性旅行家イザベラ・バードの著書『日本奥地紀行』に記された
「庇の下の通路」―――
(雁木のこと。この地では「とんぼ」と呼ばれる。)
「二度、屈折する通り」―――
(会津街道の鉤型クランクのこと。)
は、現存していて雪国の小さな城下町の郷愁感を駆り立てる。何でも新潟県ではお馴染みの「雁木」はここ津川が発祥の地と言われている。
また、この旧宿場町でもある津川市街には、二つの歴史のある酒蔵や発酵食品をつくる糀屋が三軒、現在も営業を続けている。それぞれ、取り扱いは変わるが、昔ながらの製法で作られた、糀、味噌、甘酒、塩こうじ、地元野菜や山菜を使った味噌漬け、にしんの糀漬け等が店頭に並ぶ。何とも、この地の歴史、風土に基づいた食文化を感じることができる。
と同時に、想いを馳せるのは現代にも残る会津の郷土料理である。
- こづゆ
- にしんの山椒漬け
- 棒鱈の煮付け
- 昆布巻き(鰊、棒鱈)
- イカにんじん
等が、代表的な物として挙げられるが、山椒漬けの身欠き鰊、棒鱈、イカにんじんのスルメ。「こづゆ」の出汁にかかせない干し貝柱、「昆布巻き」や出汁に使う昆布。それらは、ご承知の北前船が新潟湊まで運び、川船によって津川の川湊に降ろされ、会津街道の山道を人馬で運ばれ、会津の人々の命を紡ぎ、食文化を育んだ食材達だ。
そんなことを想いながらこの地を歩くと、いかに当時の会津藩にとって重要な地であったかをしみじみと感じることができる。

津川に残る発酵食・古の北前船が運んだ食文化「にしんの糀漬け」(左下)
最後に、イザベラ・バードに少しだけ触れる。バードは、1878年(明治11年)の6月から9月にかけて、東京から北海道へ旅をしている。その行程は、大まかに東京を出発し、日光→会津→津川→新潟。そして、また新潟から内陸の山形県の置賜地方へ向かい、新庄→金山→横手→秋田→青森→函館→平取→函館→横浜で、「往路」陸路1400km、「復路」海路1350kmの旅で、通訳も兼務する日本人従者を一人連れ、川船や海路を除けば、徒歩や牛馬に乗っての移動である。ましてや明治維新のカオスが残る情勢の中で、異国人女性による、日本の僻地を巡る旅。それは決して安易なものでは無いと、それだけで想像できる。
そんな旅の中でも、会津からここ津川に至る山道や峠は極めて悪路で、立ち寄る集落の貧しさや衛生的な環境も併せて過酷なルートの一つだったと言われていて、『日本奥地紀行』においてもネガティブな心情の記述が多くなっている。
そして、7月1日に津川に到着する。二泊したのち、津川川湊から新潟への「川旅」を始める。津川での休息の効果や会津→津川間の移動と打って変わり船での移動ということで、気分が高揚したという要素もあったと推測できるが、この新潟までの「川旅」は、ポジティブな心情の記述が多くなっている。阿賀野川が風光明媚なことも相まって
「ライン川よりも美しい」―――
という趣旨の記述が残されている。
それも今は昔のこと。
前出の通り、現代の津川には「川湊」は無く、阿賀野川の各所にはダムや川堰が建設され、新潟へ船で移動することも出来ない。当時の川旅の気分を少しでも味わうなら、津川から下流に位置する「道の駅阿賀の里」を発着する周遊40分の観光遊覧船に乗ることが唯一の手段だ。
それでも、東蒲原郡阿賀町津川が会津だった頃に訪れた、稀代の旅行家であるイザベラ・バードが津川に滞在し、阿賀野川を旅したことは、エポックな出来事としてこの地に刻まれていて、その遊覧船は「イザベラ・バード号」と称されている。
山道を歩き。峠を越え、川を下る。
そんなイザベラ・バードのようなドラスティックな旅は容易にできることではないが、ここ津川にて、彼女の旅の足跡と現状を比較したり、当時の越後と会津の関係性を探究しながら歩いた、良い時間となった。

かつてイザベラ・バードも旅立った、現在の「津川川湊跡」