紐解く

蒲が生える原

三条市栄地区にて。

2022827

 気が付けば、暦は「処暑」を過ぎた。この頃を迎えると、夏の暑さは次第に和らぐと言われている。確かに、ここ数日の新潟においては、相変わらず日中は厳しい陽ざしが照り続いているが、朝晩は過ごしやすい気温になってきたようだ。

 夜、窓を開けた部屋にて、この記事を綴っているが、涼しい空気を感じることができている。と、同時に、虫の音が心地よく耳の中に入ってくる。恐らくコオロギと思われるが、ざっと調べただけでもコオロギの種類は10種類以上あり、それぞれの鳴き方が違うそうで、少し驚いた。

 時折、列車の音が聞こえてくる。今、住んでいる所が線路沿いなのでそうなのだが、鉄道好きにとっては、それは騒音ではない。子供の頃も、夜、遠くに列車の音が聞こえて来ると、あれはブルートレインの「つるぎ」か「日本海」「あけぼの」かと、布団の中で思いを馳せ、夜汽車に乗って遠くへ行く願望に駆られていたものだ。考えてみると、昔は、クーラーも無く、夏の夜においては、家の窓は常に開いた状態であったことを思い出した。

 話が少し逸れてしまったが、先日、新潟県の原風景とも言える風景に出会った。

 

 「蒲(ガマ)」である。

 

 「蒲」はイネ目ガマ科の植物で、別名ミズクサとも呼ばれ、池や沼、川などの浅い水辺に生えている植物になる。なぜ、「蒲」が原風景と言えるかというと新潟県には「蒲原(かんばら)」という地名があり、要するに「蒲が生えている原」という、そのまんまの描写でついた地名が存在しているからだ。

 現在においては、市町村合併が進み名称が変更になった地域もあるが、

  • 北蒲原郡
  • 東蒲原郡
  • 中蒲原郡
  • 南蒲原郡
  • 西蒲原郡

 以上の郡部に町・村が属し、その面積の合計は新潟県の面積の約30%に当たる。(現在、市であるが、以前、町・村で郡部に属していた地域で算出)

 また、それらの地域の平野部は「蒲原平野」と呼ばれているが(越後平野、新潟平野とも呼ばれている)、この場所というのは、信濃川や阿賀野川が運んできた土砂で形成され、幾度となく河川の氾濫が繰り返されながらも、水はけの悪い、一大湿地帯。要するに「蒲」の自生にとって好ましい土地であったと、容易に伺い知れる。以前も「潟」が新潟の原風景と綴ったことがあったが、そこに自生していた「蒲」もまさしくそうなのである。

 そんな状態を変化させたのが、1922年(大正11年)に通水した「大河津分水」である。新潟市の信濃川の河口から遡って約50㎞の地点で、日本海へ排水させる人工河川で、通水後も紆余曲折があり、安定した運用が始まるのは1931年(昭和6年)までかかってしまったが、そのことにより、河川の氾濫被害はもとより、一大湿地帯を乾いた土地に変化させる要因となった。(蒲原平野においては、「関屋分水」を始め、信濃川やその他河川の放水路が多く存在している。)

 

 その昔、蒲原平野においては、田植えも稲刈りも、腰や胸まで水に浸かりながら行っていたと言われる。しかし、今、ここで見た風景は、一面を埋め尽くす、稲が実り始めた現代の田んぼの片隅で、ひっそりと佇んでいる「蒲」である。水に苦しんだ先人からみたら、この「稲と蒲」の風景をどう思うのだろう。いわゆる湿田から乾田に変化したこの風景を。