梅雨の真っただ中で、はっきりしない天候が続いている。新潟県においては、梅雨入りが宣言されたにも関わらず、雨の降らない日が続いていて、そういった意味でも、はっきりしない天候が続いている。
先日、「蓮」のことをライフワークにされている方に出会った。書籍の装幀や絵本、文字などのデザインという素敵なお仕事をされている方だ。実を言うと自分も好きな花は蓮なのだが、初対面だった気恥ずかしさと、「ライフワーク」と比べると、「好き」というのは、随分、重みや違いがあるような気がして、そのことをその場では、告げられずにいた。自分の場合は蓮にまつわる言葉から、興味を持ち、蓮の花が好きになった。
―蓮は泥より出でても泥に染まらず―
いくら汚れた環境に身を置いても、その汚さに染まらず、清く生きることの意であるが、解釈の仕方によっては、泥に浸かるような不遇な境遇においても、志の持ち方次第で、いつか美しく花を咲かせることができる。というような解釈もできる。当時の自分の心境がどうだったかは、すっかり忘れてしまったが、その言葉に出会ってから、蓮の花をまじまじと観察した時に、何というか儚く奥ゆかしい美しさの中にも、「強さ」を感じたのを憶えている。
そののち、お寺や僧侶に関連する職についたことがあったのだが、仏教と蓮の関係性はご承知の通りで、織物の文様として表現された蓮も美しいものが多かった記憶がある。
せっかくのなので、新潟県の蓮で有名な所にもふれてみる。やはり一番最初に思い浮かぶのは、夜桜でも有名な上越市の「高田城址公園」で、外堀19ヘクタールをほぼ埋め尽くす蓮の姿は壮観だ。地元では規模・美しさは東洋一とのふれ込みで、(少なくとも規模は他の地域に、より大きい所があったりするが)夏の早朝から多くの人で賑わう。
十日町市の寺院「宝泉寺(ほうせんじ)」には「二千年蓮」と称される蓮がある。蓮の世界的権威の大賀一郎博士が千葉県検見川遺跡の二千年前の地層から発掘した種が開花したというもので、大賀博士が古代織物の研究で十日町を訪れたご縁があり、昭和35年に移植されたとのこと。ちなみに同市内の二ツ屋地区にも同様に移植されている。
また、長岡市中之島の大口地区には、新潟のブランド野菜「大口(おおくち)レンコン」を栽培する広大なレンコン田が存在し、寒い冬場の収穫風景は風物詩にもなっている。
その他、今回訪れた、白鳥の飛来地でも有名な「瓢湖」や、蓮ではなくスイレン科の植物になるが「オニバス」の北限の自生地「福島潟」も存在する。考えてみると新潟は以前も触れたが古来無数の「潟・沼」が形成された土地。蓮にとってより良い環境であったと言えるのではないのだろうか。
さておき、最初に戻るが、もしこの先、機会が訪れるなら、その蓮をライフワークをされている方に、ぜひ新潟の蓮をご案内させていただければと思う。
え? その方とどこで知り合ったのか?
はい。「蓮池さん」の山菜ツアーでした。
という、オチでしめさせていただきます。