ふるさとには、雪が積もる。
多くの新潟県民にとっては、当たり前に毎年繰り返されることで、ある程度、歳を重ねた人たちにとっては、初雪に心躍らせ、はしゃいだ日々は遠い昔のことだ。只々、冬の生活の中の「雪」という存在に数々の「制約」を設けられることになる。
他愛のない例えで言うと、大雪の天気予報が出た前日は、翌朝のことを考え憂鬱になる。家の前の雪かきに始まり、通勤時の渋滞等を考えると、いつもより早く起きて、行動を開始しないといけなくなる。いつもは、車で一時間の所が倍以上の移動時間がかかったりする。そんなことを考えると、早く眠らないといけないのだが、そういう時に限って、家の外の状況が気になったり、今後の天候の動向をネットで調べたりして、なかなか寝付けなかったりする。
――あぁ、大雪予報の前夜は何と憂鬱なことか――
新潟での暮らしは雪に対して、もちろんロマンティックな感情も抱くが、より多くの方はリアルスティックな感情を持っているように思う。どっちがいいとか、悪いとかでは無いが。
その一方で、その雪による「制約」が新潟の豊かな文化や人の情緒を育んできたという側面もある。例えば「食」においては、一冬を越すための食材に対する創意工夫が行われ、その地域に根付いている。村上市の鮭の塩引きをはじめ、漬物やいわゆる「保存食」といわれるものにも、各地域、家庭で独特なレシピが存在している。
人の情緒においても、よく新潟の人は「我慢強い」とか「粘り強い」とか言われることが多い。(事実の検証はひとまず置いといて)
そう言われる要因の一例として、前段の「大雪前夜」の話をあげると、いくら憂鬱で面倒臭く感じようが、寒さで凍えようが、状況を只々受け入れ、我慢して、目の前の雪をどかさないと出勤ができないから、嫌でもやるしかないのだ。
また、吹雪の中、雪道を歩いて通学したり、雪で電車が来なく駅で待ち続けたり、子供の頃から、雪による「制約」を抗うのではなく、受け入れることが自然と身につけさせられる体験も多い。
そう考えると、様々な雪が積もる故に育まれる情緒というのものは、実際に存在するのだと思う。
暦は立春を迎えた。
だた、新潟の春はまだ遠い。雪が解けると、春の風が土の匂いを運び、一面白色の世界に色彩が生まれる。フキノトウや土筆、数々の春を告げる小さな花々。そして、桜が咲き誇る季節が訪れる。新潟で春を待つ想いは、ロマンティックな感情だ。