前回に引き続き、新潟県長岡市(旧寺泊町)ご出身の株式会社サンクス社長・鈴木恒一氏にお話をお聞きします。(――前回記事を見る。「古き良き寺泊の思い出」 会社サンクス社長・鈴木恒一氏①)
鈴木社長は約50年、食の業界に携わってこられましたが、いつ頃から関心を持たれたのでしょうか?
鈴木 中学三年の高校受験の時、夜遅くまで勉強していました。するとやっぱりお腹が減るんですよね(笑)。当時、インスタントラーメンが出始めの頃で、自分で作って食べていました。その内、野菜とか卵とか使って、自分でアレンジして作っていたら、それを見ていた両親が凄く興味を持ったみたいで、一緒に作ってあげたら、凄く喜んで食べてくれて(笑)。なんかその時に初めて、自分が作ったものを食べて喜んでもらう幸福感を憶えた気がします。それと、母親が、毎日おかずの種類を沢山作る人でしたので、自然と食に興味や関心を持ったのかもしれません。
調理学校にも通われていたと、うかがっています。
鈴木 好きだった、英語の勉強の傍ら、調理師免許を取得したのち、関西にある大手食品会社に就職しました。その後、運よく社内アメリカ社員留学に選ばれ、ステーキハウスの研修と経営の勉強をさせていただきました。
アメリカのどの辺にご勤務されたのですか?
鈴木 ニューヨーク州のバッファローという所のアップタウンに「ARIGATOU(ありがとう)」というステーキ店があり、そこに一年間フロントマンとして派遣されました。当時は、マンハッタンを中心に「BENIHANA」という、ロッキー青木さんが開業したステーキチェーン店が人気を博していました。「ARIGATOU」も、日本の文化を取り入れた、ジャパニーズ・ステーキハウスというスタイルでした。
どんな雰囲気のお店だったのですか?
鈴木 初めて行った時に驚いたのが入り口に鳥居があって、しめ縄が飾られていました(笑)。イタリアの「トレビの泉」みたいに、お客さんがコインやお札をお賽銭みたいに投げ込んでいましたね(笑)。アメリカの人は凄く面白がっていましたね。
こてこての日本的な演出ですね(笑)。
鈴木 それから、フロントとバーがあって、アメリカのお客さんは、本当に食事をとことん楽しみに来るので、まずバーにお連れして、一時間位お酒を飲んで寛いでから、個室にご案内して、食事に入っていただく感じでした。コース専門で最上級の「プライムビーフコース」。次に「サーロインコース」そしてポークとチキンのコースがありました。プライムのコースはプライムリブやTボーンを提供していました。シェフは日本人でした。さっきも言いましたが、自分はフロントに配属されたので、沢山のお客さんと、たどたどしい英語で、コミュニケーションしてきました。
とても貴重な、かけがえのない、ご経験ですよね。
鈴木 濃密な一年間でした。20代前半で経験できたのは良かったですね。その中で、実体験を通して感銘を受けた言葉がありました。「歴史の無い国へ、歴史があるものを取り入れることで、ビジネスチャンスが生まれる。」という言葉です。今でも、心に刻まれています。
ご起業されたのは、いつ頃だったのでしょうか?
鈴木 1987年(昭和62年)に独立起業しました。
なぜ「おにぎり」だったのでしょうか?
鈴木 まずは、故郷新潟のお米を一人でも多くの人に届けたい、という思いと、日本の気軽に食べることのできる食のスタイル「おにぎり」を正しく真面目に作って届けたい、という思いがありました。当時は市販されている「おにぎり」にも、添加物が含まれているものが少なくありませんでしたし、お米の選定や炊き方などに、こだわってないものも多くありました。
現在、「おにぎり店」は何店舗、営業されているのでしょうか?
鈴木 いわゆる、デパ地下を中心に、現在四店舗を展開中です。おにぎりの他に季節に合せた新潟の食材も、販売しています。お陰様で各地域のお客さんに御贔屓にしていただいています。
魚沼産コシヒカリにこだわって「おにぎり」を製造販売されていますね。
鈴木 私は、やっぱり、新潟のお米は魚沼産コシヒカリが一番美味しいと思っています。甘みや食感など、どれを取ってもお勧めです。冷めても美味しくいただくことができます。魚沼独特の寒暖差のある気候、雪と森林、山が生み出すミネラルが豊富な水など、地域の風土と農家の方々のご尽力の賜物だと思います。
新潟市西区の「茂太郎商店」さんから、お米を手配しているとお聞きしています。
鈴木 1993年(平成5年)の冷夏で、日本中が米不足になった時、(※平成の米騒動と呼ばれ、タイ米等の外国産の米が多く流通された。)新潟県内を駆けずり回って、部下と米の手配に追われた時があったのですが、皆、断られたり、そんな米市場なので、凄い見積もりを出されたりしたのですが、最後にダメ元で訪ねた「茂太郎商店」さんが、快く、米を提供していただいて、そこからお取引が続いています。
自分も憶えていますが、あの時は本当に日本のお米が手に入りませんでした。
鈴木 当時の会長、社長も本当に良い方で、真面目に誠実に、お米の管理や販売をされているのが、とても印象的でした。その他、黒崎茶豆や鶏卵なども販売している会社です。苦しい時に本当に助けていただきました。
出会いが奇跡的というか、導かれた感じがありますね。
鈴木 おにぎり店で、お米を使わせていただいているだけでなく、百貨店での新潟物産展や新潟の施設での催事でも「茂太郎商店」の新潟産や魚沼産のコシヒカリや黒崎茶豆を販売させていただいています。多くのお客さんに今まで食べていたお米と違う! と、好評をいただいています。
ここまで、鈴木社長の足跡を辿ってきましたが、少し話題を変えて、鈴木社長が感じる新潟の魅力ってどんな所にありますか?
鈴木 そうですね。夏は暑く、冬は寒く、四季がはっきりしていて、いいですよね。これは日本全体に当てはまる項目ですが、新潟は特に顕著に感じますね。自然の風景の移ろいもそうですが、何よりも、この季節の気温差が美味しいお米、野菜、そして発酵食品やお酒の醸造など魅力的な食材を支えていますよね。とにかく自然が豊富で、山と海が近いし、それを基盤とした魅力的な産業も多いですよね。
近年、キャンプ等、自然を基盤とした余暇活動が再度、熱を帯びています。
鈴木 そうですね。この色んな意味で進んだ現代社会の中で、田舎とか、不便さとか、そういうものはデメリットでは無く、価値体験として、新鮮に受け止められていますよね。前回も話した、子供の頃の寺泊での遊びなんかも、魚を釣ったり、貝を獲ったりして焚火で焼いて食べたり、近所の畑で野菜を獲って、そのまま味噌を付けて食べたりしていましたが、当時は当たり前でしたが、今はそういったものが、観光の動機付けになったりしていますよね。
新潟は、まさにそういった体験に、うってつけの所です。
鈴木 本当にそうですよね。農泊とか、そういった取り組みが最近増えていますが、新潟の田舎には古民家とか沢山あるし、そういう所を有効活用できれば、田んぼ、畑、山、海、川と近い所で揃っているので、本当に都会生活をしている人にとって「心地よい不便さ」だったり、ゆとりを感じる生活体験を提供できますよね。山菜を採ってきて料理したり、囲炉裏を囲んで食事をしたり、味噌、梅干し、漬物を作ったり、海だったら干物も作ったり、古来、日本人が生きていくために生み出した知恵や工夫を今一度、思い出し、体験してみる必要があると思いますね。
おっしゃる通りです。そういう体験が五感の再生や五感を育む生活のヒントになると思います。
鈴木 例えば、お米をいつもと違って、手間をかけて炊き方や水にこだわって炊いてみたり、出汁をちゃんと一から取ったり、生活の中のひと手間、ひと工夫が実は「心の豊かさ」を生むヒントかもしれませんね。
「発酵じかん。」も今後、そういった価値体験を提供できるイベントも企画してまいります。今回は鈴木社長に貴重なお話をいただきました。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。
PROFILE
鈴木恒一氏
株式会社サンクス社長。新潟県長岡市(旧寺泊町)生まれ。食品商社にご勤務ののち、首都圏にて魚沼産コシヒカリを使用した「おにぎり店」を開業。百貨店等での新潟県食材の催事販売と併せて、ご活躍中。