新潟県小千谷市。新潟県のほぼ中央に位置し、日本でも有数の豪雪地帯であるこの地には、自然、風土と人が織りなす、古より受け継がれている文化と産業が多くある。その中でも、「小千谷縮(おぢやちぢみ)」は、「越後上布(えちごじょうふ)」と併せて国指定の重要無形文化財並びに、2009年にユネスコ無形文化遺産リストへ登録されている。
今回は、越後上布・小千谷縮布技術保存協会にて八年間の教習課程を修了後、自らのブランド「ciya」を立ち上げ、小千谷縮のつくり手・伝え手としてご活躍されている「庭野悠子」さんのインタビュー第一弾として、庭野さんの生い立ちや小千谷のことについて話をお聞きしました。
この度は、織作業の最中、お時間をいただきありがとうございます。
庭野 こちらこそ、お越しいただきありがとうございます。
さっそくですが、庭野さんの生い立ちのようなお話をうかがってもよろしいでしょうか。ご出身は、宮城県なのですね。
庭野 はい。仙台市です。といっても、都心部ではなくで、周りは田んぼの長閑なエリアに住んでいました。ちなみに、姉がいて、父は群馬県、母は島根県の出身です。
小さい頃から、着物・織物に興味があったのですか?
庭野 なかったですね! (笑)。ただ、手仕事というか、自分の手で何かを作るのは大好きでした。母が当時、小さなパン屋を営んでいたのですが、そこでクッキー作りを手伝うのが凄く楽しかったです。
でも「手仕事」というキーワードが出てきました(笑)。
庭野 そうですね。高校は「美術科」に進みました。当時、宮城県内で初めて「美術科」が設立された高校で、油絵、日本画、彫刻、ビジュアルデザイン、クラフトデザインが専攻科目でありましたが、私は、クラフトデザインを専攻して、陶芸を学んでいました。周りをみると、その後、美大を目指している方だらけで、とても刺激になりました。皆が自分の好きなこと、表現したいことに没頭している姿がとても印象的でした。
陶芸でしたか! まだ小千谷縮とは距離がありますね(笑)。
庭野 まだですね(笑)。高校卒業後、京都府の舞鶴市に短期大学扱いの職業訓練校があって、そこで染織を学びました。
舞鶴! 大移動ですね(笑)。
庭野 やっぱり将来に「手仕事」の職業を志向していて、工芸の道を歩みたいと思い願書を出したら受かりました。ここも、全国各地から入学者がいてとても刺激になりました。二年間のプログラムの後半で、「染」「織」「デザイン」と最終的に専攻するのですが、私は「織」の作業が楽しかったので「織」を専攻しました。
お! 小千谷縮に近づいてきました(笑)。そういった環境の中、小千谷縮に興味を持ったきっかけは何だったのですか?
庭野 一緒に織物を学びながら仲良くなった人がいました。その方は沖縄の織物に凄く興味を持っていて、学校の先生に紹介してもらい、一緒に何ヶ所か工房を回らせていただいたのですが、その時に感じたり、日本の伝統工芸について調べていくうちに、やはりどの地域も深刻な後継者不足の問題に直面していることを知りました。
そうですね。新潟県内においても消滅したかつて盛んだった織物が多々あります。
庭野 なので、自分が必要とされる所が何処かにあればいいと、探していた所「小千谷縮」を見つけました。まず、文化財としての講習を50年も続けていることに衝撃を受けました。あと、麻の織物というものを当時は、よく知らなかったのですが、麻織物は、私の中では宮古か近江のイメージが強くて、雪国の小千谷や塩沢で作っている所にも大きな興味を抱きました。
そうだったのですね!
庭野 で、在学中に小千谷の織物組合を訪ねました! 一回、問い合わせをしたら「今の時期は、見せられるものがない。」と断られたのですが、無理やり行っちゃいました。
情熱的でしたね! (笑)
庭野 いやぁ、もう今考えてみると・・・、ですよね、本当に(笑)。でも、そうやって押しかけたにもかかわらず、組合の事務局の方が対応して下さって、作業をされている方の所へ、少し連れて行って下さったり、色々見学をさせていただきました。残念ながら、お仕事ができる、ご縁はいただけなかったのですが、本当にありがたかったです。
その行動力が凄いです。
庭野 そうこうしている内に課程修了になるのですが、やっぱり織物や繊維関連の仕事以外は考えられなかったので、卒業後は京都の繊維修理業をしている会社にアルバイトで働きました。それから、半年後位に、小千谷の機屋さんから求人が出ているのを見つけて、すぐ応募しました。本当は機械織りの織子さんの募集だったのですが、面接していただいて、アルバイトで雇っていただくことになりました。ここから、小千谷での生活が始まり、今日に至っています(笑)。
本当にご縁とお導きがあって良かったですね。
庭野 良かったです。2002年のことです。
ここまで、庭野さんの生い立ちについてお話をいただき、ありがとうございました。せっかくですので、小千谷のことについてもお話をお聞きしたいと思います。
庭野 はい。お願いします。
2002年から数えると、もう20年以上、小千谷で生活されていますが、率直に最初の頃、冬は大変じゃなかったですか?
庭野 やっぱり、雪が凄かったです! びっくりしました! 最初の半年位は徒歩で通勤していて、信濃川の橋を渡って行くのですが、今思うと帰りに買い物をして、雪が降りしきる中、キャベツや牛乳を持って歩くのはきつかったです(笑)。
新潟はおろか日本でも有数の豪雪地帯ですもんね。除雪とかも大変だったと思います。
庭野 小千谷に来て、私、生まれて初めて雪降ろしをしました!
上がりましたか。屋根の上に!
庭野 機屋さんの小屋根に上がっての雪降ろしが生涯初の体験でした。仙台はもちろん雪は降らないし(笑)。舞鶴も雪は降るのですが、比較にならないです(笑)。
日照時間も少なくなります。
庭野 そのことも、こちらの方々によく心配されました。「冬、大丈夫?すぐ暗くなるよ! 」って(笑)。もともと、私は一日中、家の中に閉じこもっていても平気な方ですし(笑)。確かに、雪に関わる作業は、最初大変でしたが、面白がりながら慣れていきました。
なるほどですね。そういった気候や自然が小千谷の風土を醸成していると思います。
庭野 山、坂が多く、本当に自然が豊かな所です。
小千谷の自然の中で、お好きな場所はありますか?
庭野 山本山という小千谷の小学生が学校行事で行くような山があるのですが、その頂上から見る景色が好きです。何でも小千谷の河岸段丘の一番高いところで「7段目」にあたる所になるそうです。信濃川が蛇行しながら流れているのが面白い風景です。田畑や町並みも見えて小千谷を一望することができます。
今度行ってみます!
庭野 この家の裏にも、すぐ信濃川が流れていて、土手を歩くことができるのですが、晴れていると越後三山も眺望でき、とても気分の良い場所です。作業中の休憩がてら歩いたりしています。
このエリアの信濃川と河岸段丘のあらましは、小学校の社会で習った気がします。
庭野 あと地名でいうと「東吉谷」の山中のある「郡殿(こおりどん)の池」も、数種類の鳥や虫の声、木々の葉音などを五感で感じ、癒される所です。
そこは訪れたことがあります! 池の主と郡殿の姫との伝説もあり、神秘的な雰囲気ですよね。
庭野 数多くのトンボも生息し、湿原の植物が形成する浮島も存在し、貴重な生態系を有している場所にもなっています。
話は変わりますが、小千谷には自然・風土と人が織りなす歴史的な産業、風習などが多く存在します。
庭野 小千谷縮を始めとする織物はもちろんですが、「錦鯉」も小千谷が発祥の地と言われています。19世紀前半の江戸時代、現在の小千谷市と長岡市の一部の地域で、食用として飼われていた鯉に突然変異したものが現れ、それが始まりだそうです。その後、小千谷の方々の研究と改良によって今に至っています。
良く「泳ぐ宝石」と表現されています。
庭野 そうですね。近年はヨーロッパを始めとする海外の方にも注目されています。小千谷市内には世界唯一と言われている、錦鯉の展示施設「錦鯉の里」もあります。
「牛の角付き」も歴史がある風習ですよね?
庭野 千年以上の歴史があり、国の重要無形文化財にも指定されています。東山地区の小栗山という山村に会場があり、年に7回開催されています。闘牛といえど、勝敗を付けずに全て「引き分け」で終わらせるところが特徴的です。1トン近い牛のぶつかり合いはとても迫力があり、1頭1頭、牛の性格によって違いがあるのも見所です。東山小学校の全児童がお世話をしている牛も取組に登場します。
まさに、この地区の住民一体となった伝統行事ですね。
庭野 ちなみに、この東山地区及び隣接している長岡市の山古志地区は、その昔「二十村郷」と呼ばれ、先ほど話題になった錦鯉の発祥の地と言われている所です。現在も東山地区には多くの養鯉場が存在しており、田畑も相まって山谷の風景も抜群です。
片貝の花火も有名ですよね。
庭野 江戸時代後期からの歴史があり、世界一の「四尺玉」が打ちあがり、多くの人が訪れます。長岡の花火でも有名な「三尺玉」は、片貝が発祥の地だそうです。浅原神社の秋季例大祭の奉納として行われます。町内の家々が花火を奉納していて、会場のアナウンスは必聴です。当日は、片貝の町中で、朝から浅原神社へ花火の玉を奉納する「玉送り」や、花火打ち上げの成功と無事を祈る「筒引き」などの伝統行事も行われています。
歴史的建造物や史跡も多く存在します。
庭野 本町に「西脇邸」と言う、小千谷の「豪商の館」があります。国登録有形文化財で、主屋は江戸中期、離座敷は大正時代に建築されたものです。
豪農では無くて「豪商」なのですね?
庭野 元々、小千谷は商業で栄えた町とも言われています。小千谷縮を始めとする織物が売買される要所として栄えてきた歴史があります。地理的な要素としても、信濃川の川湊を利用して、各地に小千谷の産物が運ばれました。西脇家も縮の仲買業を礎にその財力を蓄えていったそうです。
なるほどです。
庭野 その縮問屋から始まり、のちに「西脇銀行」を設立し、この地域の経済に大きな影響を与えたほどの「豪商」の家だったそうです。昨秋、小千谷縮体験会ということで、「ciya」も西脇邸でのイベントに参加させていただきました。敷地内の庭園も素晴らしいですよ。
戊辰戦争にまつわる史跡も数多く残されています。
庭野 そうですね。長岡藩家老・河井継之助と新政府軍の軍監、岩村精一郎の間で行われた「小千谷談判」の舞台となった「慈眼寺(じげんじ)」や、古戦場など数多く残っていますね。その河井継之助が「小千谷談判」のあと昼食をとった部屋も「東忠」さんという割烹に残っています。こちらも江戸時代からの老舗で国登録の有形文化財になっています。
弥彦神社と同じ、天香山命(あめのかぐやまのみこと)が祀られている「魚沼神社」も歴史を感じる所です。
庭野 魚沼神社がある土川地区で保存活動されている太太神楽(だいだいかぐら)があります。毎年、お盆の神社大祭で奉納されています。小中学生や高校生といった若い世代の人たちが舞いやお囃子を神楽殿で披露するのですが、演目も多くとても見応えがあります。
文化・風習がしっかり継承されていますね。
庭野 そうですね。境内には太い切株も残っていて、そういったものを見ながら悠久の時を想うことも癒される時間です。
小千谷縮に由緒がある「明石堂」も存在します。
庭野 小千谷縮の創始者、堀次郎将俊(ほりじろうまさとし)が祀られているお堂です。堀次郎将俊は、元和六年(1620年)播磨国・明石藩士の家に生まれ、浪人ののち小千谷に住み、当時、織られていた麻布を改良して今日の小千谷縮の基礎を築いたと言われています。年に、9月12日の一日だけ、内部の一般公開がされます。内部の豪華な装飾や外部の精巧な彫刻をみるだけでも価値があると思います。
本当に小千谷は諸々、奥が深く見所がたくさんです。最後に小千谷の「食」についてお聞きしたいと思います。小千谷というと「へぎ蕎麦」が名物ですがいかがでしょうか?
庭野 大好きです! (笑)。あの独特の食感や喉越しは、とても特徴的です。小千谷に来て初めて食べましたが、織物に使用していた「布海苔」をつなぎに使っていることが驚きでした(笑)。
御贔屓の蕎麦屋さんは、ございますか?
庭野 駅前の「そば処 和田」さんがいいですね! 蕎麦つゆも自分好みの濃さや味で、とても良いです。お召し上がりになったことございますか?
はい。お蕎麦はもちろんですが、「かつ丼」も、とても美味しいと思います! すみません、自分の感想を述べて(笑)。
庭野 ご主人や奥様も素敵な方です。小学校で繋がりがありました。あと、麺繋がりだと、「麺や ようか」さんという、ラーメン屋さんも好きです。小千谷インターの近くにありますが、「塩そば」がおススメです。ラーメン以外のおつまみなどのメニューも豊富で、行列ができるほどの人気店です。
有名な「パン屋」さんもありましたよね?
庭野 「ベーカリ タキザワ」さんですね! 私たち小千谷の人は「タキパン」と呼んでます。創業が大正の老舗パン屋さんです。「サンドパン」や「サラダ揚げ」は、小千谷市民の大定番商品です。ちなみにうちの次女の一押しは「目玉焼きパン」です!
そうなのですね(笑)。
庭野 あと、5年位前に友人からいただいてから病みつきになっているのが、「竹島屋製菓」さんの豆菓子です。中でも「落花あられ」といって、落花生とあられと、新潟県産大豆が入っている商品があるのですが、全てが絶妙なバランスで、食べ出したら止まりません(笑)。元々、豆菓子は食べる方ではなかったのですが、ここの物は別です! (笑)。「えちご福豆」も味付けをせず、3種類の新潟県産大豆を炒っただけのものなんですけど、大豆の美味しさがシンプルに伝わって味わい深い商品です!「竹島屋製菓」さんの豆菓子は、私的に小千谷のちょっとしたお土産に一押しです!
伝わりました(笑)。
庭野 ある程度量がまとまっていれば、大豆を持ち込んで、味やあられの分量等をオーダーメイドで、作ってもらうことも可能みたいですし、商品に使う全部の豆を自社工場で直火焙煎し、職人さんが一つ一つ丁寧に手作りで仕上げているそうです。
日本酒はお召し上がりになりますか?
庭野 はい。大好きなんです! (笑)。新潟に来てよかったことの一つが、お酒が美味しいことです! (笑)。酒蔵も沢山あって、楽しいです。
小千谷の酒蔵になりますと「高の井酒造」さんか、「新潟銘醸」さんかの二者択一になっちゃいますが、どちらがお好きですか?
庭野 うーん、どっちも好きです! (笑)。選べないです!
最後が意地悪な質問で、失礼いたしました(笑)。次回は。「小千谷縮」に関することをお聞きします。ありがとうございました。
庭野 こちらこそ、ありがとうございました。
PROFILE
庭野悠子さん
小千谷市在住。宮城県仙台市生まれ。
越後上布・小千谷縮布技術保存協会にて八年間の教習課程を修了後、自らのブランド「ciya」を立ち上げ、小千谷縮のつくり手・伝え手としてご活躍。