紐解く

秋の訪れ

長月の三条市にて。

2023915

 随分、日が短くなったように思う。

 

 この風景を撮影した時刻は、1809分。それもそのはずで、気が付くと暦は「秋分」に向っている。

 新潟も日中は相変わらずの厳しい暑さが続いているが、朝晩は幾分涼しく感じるようになってきた。ただ、本当にこの夏は雨が降らなかったように思う。ニュースでも、とあるダムが貯水率0%になったことを報じていた位だ。

 目の前に広がる田んぼは黄金色に色づき、一部品種の稲刈りも始まった。しかしながら、今夏の異常な猛暑と前出の雨不足により、とある地域では米の品質検査で「一等米」が例年と比べると激減しているとのこと。まだこれから稲刈りを行う品種もあり、なんとか少しでも状況が改善されることを願うばかりである。

 

 さて、今週末はご縁をいただき、新潟県中魚沼郡津南町に隣接した、長野県下水内郡栄村の「秋山郷」に出かける。「マタギ」文化にふれることのできるツアーにお声がけいただいた。「マタギ」といえば、ご承知の通り、山で狩猟を生業としている方々である。と、平たく言ってしまえばそれまでなのだが、今回のツアーに参加される方の著書を拝読した所、実に奥深く、自然に対する畏怖の念や、山岳信仰のしきたりの中で生きていることを遅ればせながら理解した。

 確かに彼らのような狩猟を生業とする方々は、野生動物の命を奪う。そして、そういった行為は現代においては、残酷だとか、動物愛護といった観点で議論される。しかしながら、考えてみてほしいのは「肉を食する」ということは、そういうことなのである。

 牛肉や豚肉や鶏肉も誰かのそういう行為によって市場に流通し、我々はただ食材として「無意識」に食することができている。誰かのお陰で自分でやらずに済んでいるだけなのである。

 まだ、浅く本を読んだだけなのだが、山に入り狩猟を行う時の「しきたり」や使用する言語があり、獲物を捌く時や食する前にも作法があるとのこと。

 そのことは、肉をただ食材として「無意識」に食べている我々とは大きく違う「意識」が働いている。

 と、こんなことを思考していると縄文時代の生活様式とか遡ってしまいたくなりそうなので、この辺にしておいて、この週末は未体験の文化に只々、身をゆだねて来ようと思っている。