紐解く

菜と粥と禅

三条市自宅にて。

2022424

菜花粥

 菜花粥。

 時々、こんなものが食べたくなる。漬物や梅干しといただくのだが、コシヒカリの旨味がシンプルに伝わり、美味しい。

 と、今だからこそ、新潟の米が美味しいと、一般的に知られているが、そうではない時代があった。昭和の初期までは、猫すら食べないの意味で、「猫またぎ」と呼ばれていた。今日があるのは、品種改良や、治水による農地改善等、先人達による、たゆみない血のにじむような努力があったからこそ、なのである。

 一方、新潟の食を紐解くために、以前購入した書籍がある。農山漁村文化協会出版の『聞き書 新潟の食事』というものなのだが、そこには昭和の半ば位までの新潟の農村の慎ましいと言ったら、美しく聞こえるが、実に質素な食事の様子が綴られていた。

 日常においての主食は、「かて飯」と呼ばれる、少ない米に大根や大根菜を入れ、かさ増しをして炊いたもので、またそれを次の食事にぞうすいや、お粥にして温めて食べていたのである。しかも、ほとんどの農家の方はよくできた米は市場に回すので、くず米を生活の食料として使っていたのだそうだ。率直な感想なのだが、それはきっと美味しくはない。ただ、やむを得ず創意工夫をし、暮らしを紡いできたということに、他ならなかったのだと、切に思う。

 

 「お粥」の記憶をもう一つ。

 

 今から十年位前になるが、私は体調を崩し社会生活が全くできない時期があった。二年位の療養ののち、社会生活の復帰に向けて、今までの自分が、体験していない価値観を得る必要があると思い、京都府亀岡市の臨済宗のお寺を訪ねた。期間は短いが、禅の修行体験ということでお世話になった。そこは、自由時間も数時間設定されており、僧侶が行う、完全な修行ではないのだが、朝、昼、晩の一連の禅に関わる全ての体験ができるという触れ込みであった。

 そんな中、私には、恥ずかしながら一番の不安要素があった。それは、「食」である。なにせ、お腹がすいたり、甘い物やお酒、嗜好品など、いつ何時でも、何でも手に入る環境で生活していた訳で、それがシャットアウトされる訳である。京都に行く「急行きたぐに」の寝台で「夜中、腹が減ったらどうしようかなぁ」と、真剣に考えていて、俗な煩悩の塊のまま仏門を訪ねた。

 

 結論から言うと、それは杞憂に終わった。全く以って。

 

 その理由の一つは、食事が美味しくて、尚かつ満腹感以上の満たされ感があったから。

 もちろん禅の作法に則った食事の時間であり、肉類は一切使用しない料理であったが、野菜を美味しくいただく創意工夫に満ち溢れ、滋味深い味わいの料理だった。素材そのものの味も、十分堪能でき、まさに真剣に食を味わう時間であった。

 もう一つは、完全に規則正しい生活を送れたから。

 考えてみると、無駄に夜遅くまで起きているから、夜中に何か食べたり、何となく、テレビを見ながら飲食したり、無駄な時間の埋め合わせとしての、「食」が自分にとってあったのだと思った。当時は、今まで、本当に無駄な食事をしていたのだと真剣に感じたものだった。

 

 禅の価値観を表す言葉の一つとして「起きて半畳、寝て一畳」と、いわれるものがある。実際にそういう体験をしてみて、それでも人は最低限、生きていけると実感しているし、そういったミニマムな所から創意工夫をし、小さな幸せを紡いでいくライフスタイルが、しみじみとした育み感があり、いいなぁと、思う。

 また、人間の脳は色んなものをアップグレードしてしまう機能を持っているので、時々、こういったシンプルな「素食」で、ポジティブにダウングレードすることも必要ではないかと感じている。

 という、日曜日の午前中です。

米