紐解く

お茶の先生の話

立夏の頃、
新潟市西蒲区にて。

202255

田んぼ

 新緑がまぶしい季節が訪れました。新潟は至るところで、田仕事が始まっています。田んぼに水が入ると、無音だった田んぼに、色々な音が聞こえ始めます。作業をする人の声、水の流れる音、蛙の鳴き声などなど。

 久しぶりに、畦道を歩きましたが、子供の頃、畦道を歩くと必ず聞こえる音がありました。歩くたびに「どぼん」「どぼん」とトノサマガエルが水に飛び込む音です。

 残念ながら今回は、そんな音を聞くことができませんでした。また、用水路の水面にはメダカが群をなし、ドジョウが逃げる時、水中で泥を巻き上げるので、ドジョウがいることが、すぐ分かるものでしたが、そんな光景も見ることはありませんでした。「イトヨ」の話も、以前綴りましたが、やはり、色々な生物と出会う機会が少なくなっていると実感しています。

 そんな新潟市の田んぼにいながら、思い出したのは、私が醸造会社に勤めていた時のお客さんだった、「お茶の先生の話」でした。先生は、三条市下田地区にお住まいで、推測するに70代後半位の方です。ご実家の酒蔵から分家し、お酒の販売業を以前営んでいましたが、現在は、おやめになり、地域の方々に茶道を教えています。お邪魔した時には、昭和40年代位の昔話を良くしていただきました。

 その当時は、下田地区にも、醤油の原料にするために、お米と一緒に大豆を作っていた農家の方が、いらっしゃったようで、私の勤めていた醸造会社も、昔はよく引き取っていたそうです。現在は、新潟産の大豆を使用したものが、一つのセールスポイントとして、うたわれている醤油が少なくありませんが、当時は、ごく普通のことだったようです。

 また、季節のお仕事として、冬から春にかけて醸造所で働く農家の方もいらっしゃったそうで、生産者と加工者の、良い関係性というのが自然にできていた時代だったと、お話をうかがって思ったものでした。

 雪が降る前になると、当時は、いわゆるスーパーマーケットも、コンビニもなく、道路状況も良くない時代なので、各家庭で醤油を一冬分、備蓄していたそうです。私が勤めていた醸造会社も、大量に醤油をトラックに積んで、各家庭を回っていたそうです。今では考えられない光景です。

 その他、色々なお話をうかがったのですが、お正月、訪問客に振舞う料理の話を聞いていると、ご実家の酒粕と、鮭の塩引きのアラを使った「粕汁」を以前は毎年作られていたそうです。これが想像しただけでも、実に旨そうなので、図々しくも、「今度、作ってくれないかなぁ」と、思ったりしていました。たぶん、他にも、後世に伝えるべきレシピをいっぱい持っていそうなので、今度また、お邪魔してみようかと考えている、夏も近づく九十一夜です。

新緑